夏目漱石『それから』のメタファー 5選

こんにちは。

今回は、夏目漱石『それから』のメタファーについて、『漱石と日本の近代』(石原千秋・著, 新潮選書, 2017.5)を参照しながら書いてみます!

石原氏は『それから』の5つのメタファーについて言及しています。
一つずつご紹介しつつ、私の見解や補足も書いていきます!

①落ち椿は長井家の没落のメタファー

石原氏は、一章の第二段落の冒頭で「落ち椿」が書かれる点に触れ、「長井家の没落」の兆しを読みとっています。

「落ち椿」は武士にとって縁起が悪いものです。
長井家は江戸時代に武家だったのです。

また、作中では代助の父・長井得(ながい とく)の経営する会社が傾いていることが語られます。
さらに代助の不祥事も重なることになるため、長井家が没落していく運命にあると読み取っているのです。

落ち椿が武士にとって縁起が悪い理由

これは、明治時代以降の俗説のようです。

椿は花が落ちるときに、他の花のように花びらが一片ずつ落ちていくのではなく、全ての花が丸ごとぼとりと落ちるのです。
この様子が、武士の首が落ちる様子と重ねられたようです。

武士は名誉をとても重んじていましたが、名誉ある死として、切腹と介錯を重んじていました。

このことが、庶民の間で武士と首が落ちることを結びつけ、落ち椿のイメージと重なったのだと考えられています。(諸説あります)

②美智代が代助から指輪を上にして見せる理由と、指輪の「貰い直し」

石原氏は以下の部分を引用し、美智代が代助にもらった指輪を上にすることで、代助にアピールしていると指摘しています。

下にした手にも指輪を穿(は)めている。下にした手にも指輪を穿めている。上のは細い金の枠に比較的大きな真珠を盛った当世風のもので、三年前結婚の御祝として代助から贈られたものである。
 出典:夏目漱石『それから』(四章)

このあと、美智代は金策のために二つの指輪を質屋に入れたことを代助に話し、それを聞いた代助は美智代に金を渡します。

そして、美智代は代助から貰った金で、代助から貰った指輪を質屋から取り戻し、箪笥(たんす)にこっそりしまいこみ、それを代助に見せるのです。

石原氏は上の流れに対して、美智代は代助から貰った金で指輪を質屋から買い戻しており、代助の金で指輪を手に入れていることから、「指輪の贈られ直し」をしていると言います。

さらに石原氏は、美智代が指輪を付けず箪笥にしまい込んでいるのは、夫である平岡に、指輪を買い戻したことを隠すためであり、代助との秘密の共有がなされていると指摘します。

美智代から代助へのアピール。
そして、3年前に果たされなかった愛をもう一度選び直すということ。
さらに、秘密の共有。

一つの指輪を中心とした行為に、多くの意味付けがあり、それを読み解くのは面白いですね。
なんだか、世界の秘密を解き明かしているような気持ちになってきます。

文学における質屋

「質屋」は文学において意味づけされるのは他の例でも見られます。

例えば、森鴎外の『舞姫』です。

『舞姫』では、東大卒エリートの豊太郎が、役人として派遣された英国・ロンドンで、貧しく美しい少女・エリスに一目惚れして相思相愛になります。
しかし最後にはエリスを捨てて、故郷の日本に帰るのです。

この筋を「質屋」が暗示します。

豊太郎はエリスに一目惚れしたとき、エリスの抱えた借金を返すために、自分の金時計を渡します。

エリスは金時計を質屋に入れて金を工面します。

「質屋」に品物を入れると、品物を担保にお金が借りられますが、基本的には、期限までにお金を質屋に払って「返してもらう」ものです。

つまり、金時計を質屋に入れたが、質屋に入れたものはいずれは「返す」ものです。

エリスは、金時計を一度は豊太郎からもらいましたが、それはいずれ、豊太郎に返すべきものだったのです。

このことから、エリスが質屋に金時計を入れたことが、豊太郎が最後にエリスを捨てることを暗示しているのでは、と解釈されます。

③冒頭代助が心臓に手を当てるのは美智代の心臓を気にしている

『それから』の冒頭の第二段落は以下です。

念のため、右の手を心臓の上に載せて、肋(あばら)のはずれに正しく中る(あたる)血の音を確かめながら眠についた。
    出典:夏目漱石『それから』(一章)

青年が寝そべって自分の心臓に手を当て、「おいおい、ちゃんと動いてるよな?」と確認するシーン。
初見では、代助が神経質な青年であるようにしか読めません。

しかし、物語を読み進めて代助の美智代への想いを知ると解釈が変わります。

このシーンは、代助が自分の心臓と美智代の病んだ心臓とを重ねているシーンなのです。(参考文献[1])

こちらも再読して初めて分かる、隠された意図があって面白いですね。

④芸者の暗示

代助が3年ぶりに美智代と会い始めたことをきっかけに、代助は芸者に行くようになったようです。

石原氏は以下の部分について、代助が3度は芸者に会いに行ったことを暗示しているといいます。

世話係の青年・門野からの問いかけです。

「昨夜は何時(いつ)御帰りでした。(中略)全体何時頃なんです、御帰りになったのは。それまで何所へ行っていらしった。」
    出典:夏目漱石『それから』(五章)

代助はこれに話を逸らします。いつ帰ったか、何処へ行ったかも言えない場所に行っていたからです。

2度目は、「自宅のある神楽坂とは逆方向の「赤坂行」の電車に乗り換える」のでわかります。

3度目は、「彼はその晩を赤坂のある待合で暮らした。」から読み取れます。

ぱっと読んでも、上記の3箇所が芸者に行った暗示だとは中々気づけないように思いました。

作中に隠された意味を読み解くのは、文学の大きな魅力の一つですね。

赤坂って、芸者や花街で有名なの?

個人的な「赤坂」へのイメージとしてはビジネス街であり、芸者を連想させるようなイメージは持っていないです。

しかし、江戸時代から六花街(旧柳橋・芳町・新橋・赤坂・神楽坂・浅草)の一つに数えられ、現在でも花街として伝統を伝える街のようです。

「地球の歩き方」でも花街としても語られるとのことです。

花街とは?

飲食店や芸者、遊女の店が集まった街のことです。

芸者とは?

芸者は現在でこそ、伝統的な楽器や舞踊を習熟した文化的な存在です。

現在の歌舞伎座や能楽に近いポジションと感じます。

しかし、江戸時代から明治時代にかけては伝統的な側面と水商売的な側面が混ざっていたようです。

待合とは

私自身最初に読んだとき、「待合」が何か深く考えなかったです。

調べてみると、明治時代の「待合」は「待合茶屋」という芸者と過ごせる旅館、ホテルを指すようです。

今風に書くなら?

漱石が芸者や赤坂花街をどのように捉えていたかは分かりません。
しかし仮に水商売的な側面を見ていたとしたら、それからの本文を今風に書き変えるなら以下のようになるかもしれません。

「彼はその晩を赤坂のある待合で暮らした。」
→「彼はその晩、五反田のある店で過ごした」

「待合」→「店」とすると、水商売的なニュアンスは失われてしまいますね。

ただ、現代で「芸者と共に過ごす用の部屋」を言い換えられる上手い表現が思いつかなかったです。
また、「ある店」でぼかしてる部分で怪しげな雰囲気は出ていて、暗示としてはイケている気もします。個人的に。

⑤制御不可能な下半身の暗示

胡座(あぐら)をかいたまま、茫然と、自分の足を見つめていた。するとその足が変になり始めた。どうも自分の胴から生えているんでなくて、自分とは全く無関係のものが、其所(そこ)に無作法に横わっている様に思われて来た。(中略)見るに堪えない程醜いものである。
    出典:夏目漱石『それから』(五章)

石原氏は、上記の部分が、主人公・代助のヒロイン・美智代への抑圧された愛の欲求のメタファーとなっていると言います。

「抑圧」とは、自分にとって不都合な感情を、ないものとして封じ込めようとする心の働きです。

平たく言えば、代助は本心では美智代を抱きしめたいという欲求がありますが、それに気づかないようにしているのです。

たしかに、「下半身」は男性から女性への欲求を象徴しそうです。

さらにその欲求の象徴が、「自分とは全く無関係のもの」のように見える書かれています。

代助は美智代への気持ちを、「自分とは全く無関係のもの」として、なきものとして扱おうとしていると読めます。

または、個人的には、「自分とは全く無関係なもの」は「自分ではどうにも制御できないもの」とも捉えられるように思います。

つまり、代助の美智代への思いは、代助自身にもコントロール不能なのです。

これは最終的に代助が「家」ではなく美智代を選び、ある種破滅的な最期を迎えることまで射程に入った暗示ではないかと思うのです。

なぜなら、美智代への思いをコントロール出来るならば、もっと理性的に物事を捉え、自分が破滅的な結末を迎えるような選択はしないはずだからです。

まとめ

今回は、『漱石と日本の近代(上)』の『それから』論を参考に、『それから』の暗示の考察について書きました。
作品に隠された意味を見つけ出すのは面白いですね。
それでは、また次回。

参考文献

[1]『漱石と日本の近代』(石原千秋・著, 新潮選書, 2017.5)

この記事を書いた人

都内私立大学を卒業→大学院進学→メーカーに就職←イマココ、のアラサーブロガー。高校3年生の現代文の授業で、『舞姫』(森鴎外)の解説を受けてから文学にハマり、以降文学書を読み漁る。好きな作家は村上春樹、夏目漱石、太宰治。
いろんな作品の考察や感想を書いていきます。たまに書評も。

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