はじめに
こんにちは!
今回は夏目漱石の『こころ』のKについて、心理学的視点で分析してみます。
ターゲットは、「こころ」を読んだことがあって、考察を求めてる方向けです。
今回の心理学視点は、「エリクソンの8段階発達段階モデル」です。
この中で、第3段階の自発性対罪悪感の軸で、Kについて考察します。
『こころ』のあらすじ
大学生の青年は、どこか孤独な影をまとった「先生」と親しくなる。
しかし先生は、自分の過去を語ろうとしない。
やがて青年は、先生が大学時代に親友Kと同じ女性を愛し、裏切りによって彼女を奪ったこと、そしてその結果Kが命を絶ったことを知る。
罪の意識に縛られ続ける先生の告白は、青年に人間のエゴと孤独の深さを突きつけるものだった。
エリクソンの8段階発達段階モデルとは?
エリクソンの発達段階モデルとは、人生を8個の段階に区切り、各段階での心の中心テーマを述べたものです。
それぞれのテーマについては、一生を通じてテーマになるものです。
以下の表にまとめます。

各段階での中心テーマへの向き合い方や環境によって、その後の人生においても、そのテーマの傾向に影響を及ぼします。
例えば、第一段階は0歳から2歳ごろを指します。
この時期の心のテーマは、信頼と不信です。
このときに、養育者の子供に対しての接し方が、将来的な他者への信頼、不信の傾向に影響を及ぼすと考えられています。
例えば、子供が泣いていたり、何らかの対応を求めているのに対し、養育者が無視を続けるとします。
すると、信頼ではなく不信が育ち、将来的に他者に対して不信を抱きやすくなる可能性があるのです。
モデルを用いた分析の方法
このモデルは、二つの使い方が出来ます。
一つは、人の現在の性質の指標になる点です。
人物を分析するときに、
信頼性があるか?ないか?
自発的か?罪悪感があるか?
など、各段階の心のテーマごとに傾向を確認することで、人物の現在の性質が把握できます。
二つ目は、人の過去の養育者・周囲の反応など、本人の経験や環境を推測する手掛かりになります。
例えば、他者に対して不信な傾向が見られるなら、0-2歳のときに周囲が無関心だった可能性に頭をめぐらせることができます。
このように、エリクソンの8段階発達モデルは、人物の現在の性質を表現したり、過去を推測するうえで、有用です。
エリクソンの八段階発達モデル 第三段階:自発性vs罪悪感
本記事では、エリクソンの発達段階の第三段階:自発性vs罪悪感のテーマに基づいて、Kを分析してみます。
第三段階とは?自発性ー罪悪感
第三段階の内容をまとめると、以下になります。

時期としては、4、5歳の時期です。
この時期は、自分から積極的に、主体的に何でもやってみたい!という意欲が沸いてきます。
一方で、自分で何かをやってみて失敗したときに叱られることで、罪悪感を感じやすい時期でもあります。
養育者の接し方の影響としては、幼児に対して「できるよ」「やってみよう」など、自発性を後押しするような接し方をすることで、その後に自発的な性格になりやすいです。
一方で、幼児が失敗した際に厳しく叱責しすぎると、失敗に対して罪悪感を抱きやすくなる傾向があります。
第3段階を用いたKの評価 自発性について
自発性の観点でKを評価してみます。
結論からいうと、Kは自発性が高いです。
理由は以下です。
Kは養父母から医学部の進学を条件に学費を出してもらっていました。
しかし、嘘をついて哲学系・宗教系の学部に進んだのです。
しかも、そこには後ろめたさや卑屈さはありませんでした。
例えば以下の部分にそれが現れています。
Kが養父母に黙って哲学・宗教系の学部に進むことについて、先生は「それでは養父母を騙すことにならないか?」と問います。
それに対するKの答えが以下です。
道のためなら、それくらいのことをしても構わない。
『こころ』夏目漱石, 角川文庫 22章(p211)
このようにKは、養育者の期待よりも自分の夢や理想を優先し行動する点で、自発性があると言えます。
自発性ではなく反抗心の可能性
しかしながら、Kが医学部を拒否した行動の裏には、自発性ではなく養父母、ひいては実父母への反抗心が隠れている可能性もあります。
特に、次章でも述べますが、Kの養父母はKの進路選択において、「医者になるべき」という自身らの価値観を強く押しつけています。
そのような養父母の姿勢が、Kの反抗心を煽った可能性が考えられます。
もしもそうなら、徹底的な反抗の果てで死んでしまったKは、なんだかいたたまれませんね。
第3段階を用いたKの評価 罪悪感について
罪悪感の観点でKを評価してみます。
結論からいうと、Kは罪悪感も感じやすい可能性があります。
理由は以下です。
Kは、お嬢さんに対して恋心を抱いていました。
しかし、Kは修行僧のような煩悩を克服した存在を目指していたので、自身の恋心を否定しようとします。
否定しようとしますが、想いを抑えきれず苦しんでいました。
以下にその苦しみが現れた部分を引用します。
彼はただ苦しいと言っただけでした。じっさい彼の表情には苦しそうなところがありありと見えていました。
『こころ』夏目漱石, 角川文庫 40章(p259)
道のためには全てを犠牲にすべきものだというのが彼の第一信条なのですから、摂欲や禁欲はむろん、たとい欲を離れた恋であっても道の妨害になるのです。
『こころ』夏目漱石, 角川文庫 41章(p261)
自身の煩悩に対して苦しむとすると、自分が欲望を抱くことに対して強い罪悪感を感じていたと推測できます。
まとめると、Kが、周囲の反対にあっても自身の価値観に沿った行動を取る姿勢には、自発性が見られます。
一方で、自身の感情、欲望に対しては過剰なまでの罪悪感が働くのです。
こうしてみると、Kはある面では自発性があり、ある面では罪悪感を感じやすいと言う、両面性のある人物と指摘できます。
Kの育った環境について
上記にて、Kには自発性があると同時に、罪悪感の感じ易さも備えていると指摘しました。
本章では、それらを培ったKの養育環境について分析します。
自発性を育てた環境
強い自発性が育っていることを考えると、Kはそれなりに「やってみたい」という意思を尊重された可能性があります。
そして、失敗しても過剰に叱責されることもなかったのではないでしょうか。
また、Kの家は、故郷では権力のある浄土真宗の寺であり、比較的裕福な家柄だったと書かれています。
経済面と自発性の尊重は必ずしもイコールでは結ばれませんが、少なくともお金に困ってあくせくしたり、幼いKの意思が、経済的な理由で否定されることはなかったと推測できます。
例えば、友達の影響で習い事をしたいとか、おもちゃが欲しいとか、そういう欲望がお金を理由に認められないことはなかったでしょう。
罪悪感を育てた環境
一方で、Kには自身の感情、特にお嬢さんへの恋愛感情に対して、強い罪悪感があるように読めます。
以降では、その要因として3つの可能性を挙げます。
お寺の子という境遇
一つには、浄土真宗の寺の子であることが影響しているかもしれません。
浄土真宗は教えの本質としては、「凡夫でも念仏さえ唱えれば救われる」「他力本願」など、比較的緩い宗派です。
とはいえ、仏教系の寺の点で、ある程度は「欲は悪」「執着は悪」という思想が、家を支配していたのではないでしょうか。
本文中にも以下の通り書かれています。
仏教の教養で養われた彼は、衣食住についてとにかく贅沢というのをあたかも不道徳のように考えていました。
『こころ』夏目漱石, 角川文庫 23章(p215)
この仏教系の教えが、自身の欲望やお嬢さんへの恋愛感情を過剰に否定し、罪悪感を感じやすくさせた原因の可能性があります。
養父母との関係性
他にも、養父母との関係性もKが罪悪感を感じやすくなった原因の可能性があります。
養父母は何としてもKを医者にしたかった。
しかも、Kは自分の進路について養父母に相談することさえしなかったのです。
このことから、Kの養父母は、少なくとも進路に対して絶対的な決定権を持っていたと考えられます。
そこから見えてくるのは、自分の養子に対して支配的で、圧迫的で、子供を自分の自己実現の道具として捉える親の姿ではないでしょうか。
そう考えると、両親・養父母は幼年期のKに対して厳しいしつけを行い、「やってみたい」の結果を否定し続け、結果としてKは罪悪感を抱きやすくなった。そう言う可能性も考えられます。
感情を否定する養育環境だった可能性
Kが病的なまでに自己の欲望を否定する背景には、両親、養父母が、幼いKの感情に否定的だった可能性もあります。
養育者がKの感情を受容せず、否定する姿勢をとり続けていた場合、Kは自身の感情に対して否定的になり、罪悪感を持つようになるかもしれません。
まとめ
今回は『こころ』のKについて、エリクソンの発達段階モデルを用いて分析してみました。
心理学を用いて登場人物を分析すると、作品理解が深まりますね。
それではまた次回。
