【考察】『バケモノの子』一郎彦の心の闇とは何か?

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今回は2015年に公開されたアニメーション映画、「バケモノの子」(監督・細田守)の登場人物、一郎彦についての考察をします。

問 一郎彦の抱えた心の闇とは何だったのか?

心の闇とは何か

 一郎彦が抱えた心の闇について考える前に、そもそも一般的な心の闇とは何か考えてみます。心の闇とは、一言で言えば表には見せられない、他人に受け入れられにくい負の感情です。光が明るいポジティブなのものであるのに対し、闇は暗くネガティブなものです。心の闇とは心の暗い、ネガティブな部分であり、負の感情でしょう。

 さらに、心の闇にはもう一つの特徴があります。それは、表には見せられない、世間、あるいは自分の中の倫理に反しているという点です。負の感情といっても、いろいろな種類がありますが、大きく他人に受け入れられるもの、と他人には受け入れられない否定されるもの、の二種類に分類できます。

 例えば大切な人を亡くした悲しみ、は皆から受け入れられます。それに対して、例えば学生時代にひどいいじめを受けた結果抱くようになった自殺願望、こちらは多くの人に共感されず、むしろ否定される負の感情です。

 他にも受け入れられない感情として、狂気、憎しみ、嫉妬、独占欲、暴力性なども挙げられます。他人から恐怖の対象とみなされ、受け入れられにくいものです。このようなドロドロした、他者から受け入れられにくい負の感情が、心の闇なのです。

一郎彦の抱えた抱えた心の闇とは何だったのか

 一郎彦の抱えた、表には見せられない、他人に受け入れられにくい負の感情とは、具体的にはなんだったのか。
 それをたどるための方法として、一郎彦の取った行動とセリフから逆算してみます。
 一郎彦が心の闇の力を使って行ったことは次の二つです。

  1. 父を倒した直後の熊哲を剣で串刺しにした
  2. 人間の世界で九太を殺そうとした

 これらが心の闇の結果の行動であるということは、行動の目的、行動によって達成したかったことの先に、負の感情があると言えます。それぞれについて考えていきます。

行動① 父を倒した直後の熊哲を剣で串刺しにした

 熊哲を串刺しにした後、一郎彦はこう言いました。

「見たか。やっぱりお父様は最強だ。」

出典 バケモノの子 一郎彦

 このセリフから、一郎彦が達成したかった内容は、「父親が最強であること」だったと推察できます。

 しかし、父親が最強であることを望むのは、別に負の感情ではありません。心の闇の力を発動させている以上、そこにはもっと後ろめたい、負の感情があるはずなのです。
 
 そのヒントは、セリフと行動の中にあります。「見たか。やっぱりお父様は最強だ。」
つまり、最強のお父様像を崩さないために、一郎彦は人殺しをしたのです。それほどに、「父親が最強であること」を否定したくなかった、ということになります。
 
 父親が最強であることを否定しないのは、裏を返せば、父親が最強でないことを肯定できない、最強でない父親を受け入れられない、ということになります。つまり、一郎彦の心の闇、すなわち、後ろめたい負の感情とは「最強でない父は認められない」という、「父親の否定」であったことが分かります。

行動② 人間の世界で九太を殺そうとした

 「心の闇」の力で一郎彦が起こしたもう一つの行動、それは九太を殺そうとしたことでうす。この行動から、一郎彦の抱えた心の闇の内容を考えます。
 一郎彦が九太に対して何度も言うセリフに「人間のくせに」という言葉があります。「人間のくせに」と言いながら、九太に暴力をふるい、殺そうとさえするのです。ここには、一郎彦の抱えた差別思想が見えてきます。

差別(さべつ)とは、特定の集団や属性に属する個人に対して、その属性を理由にして特別な扱いをする行為である。(中略)通常は冷遇、つまり正当な理由なく不利益を生じさせる行為

出典 wikipedia

 引用の通り、差別は、他者を自分の物差しで測ってカテゴライズし、そのカテゴリー故に自分よりも劣った存在であるとし、他者の人権を無視した行動を取ることです。一郎彦は、九太を「人間」という「属性に属する個人」として、それだけの理由で殺そうとします。「正当な理由なく不利益を生じさせる」のです。
 
 一郎彦の中には、「人間のくせに」というセリフに象徴されるように、人間を獣と比較して劣っているものであるとします。そして、「人間だから」という理由で殺すことさえ正当化しようとするのです。
 
 差別思想は負の感情の中でも、社会的に認められにくい感情です。一郎彦の抱えた心の闇の正体は、差別思想であったと言えます。

なぜ一郎彦は差別思想を持ったのか

 さらにもう少し深い部分に切り込んでみます。なぜ一郎彦は差別思想を抱いたのか、という問題です。
 総師様の言葉の中に、一郎彦が闇を抱えた理由について「自分を信じられなくなったから」という言及がありました。これを踏まえて今までの記述に当てはめると、このようになります。

 一郎彦は自分を信じられなくなった結果、心の闇≒差別思想を抱き、差別思想によって九太を殺そうとした。

 つまり、自分を信じられなくなったことが、差別思想の原因であると言えます。

 どうして自分を信じられないことで、差別思想を抱くのか。

 それは一言で言うなら、優越感を抱くことで自分を肯定することができるからです。

 差別思想には、優越感が含まれています。なぜなら、差別の対象は「特定の属性」にいるだけで、「不利益を生じ」させていい存在です。不利益を生じさせることが許される差別対象と、守られている自分。殺すことも許される存在と、生きる権利が与えられている自分。どちらの存在であいたいかと問われたときに、圧倒的に差別する側なのです。なぜなら、そっちの方が生きる上で便利だから。自分の方がいい待遇を受けられる、生きやすい存在だ。そういう優越感を、差別思想は与えてくれます。

 「自分を信じられなくなった」一郎彦は、否定してしまいそうな自分を支えるために、自分を肯定する軸が必要になったのです。その軸として飛びついたのが、「差別思想」だったのです。

「人はその弱さ故に、心に闇を抱える」

出典 バケモノの子 総師様

 総師様の言葉に上記の言葉がありました。
 一郎彦は自分を信じられないという弱さのために、差別思想という「心」の「闇」を抱えてしまったのです。

 しかし、一郎彦がこのとき自分のことを人間と捉えていたのだとしたら、この差別思想はそのまま自己否定に結びついてしまいます。自分を獣として捉え、獣として生きてきたのに、実は人間だった。このとき一郎彦の中には深い混乱があったと考えられます。その混乱は、既にこの差別思想が自分を否定するものでもあるのだという判断もつかないほどに大きいものだったのでしょう。

まとめ

 今回は、化け物の子で一郎彦が抱えた心の闇の正体は?という問いを考察してみました。
 結論としてそれは、父親の否定差別思想でした。

 人の心は弱いもので、それ故に簡単に自己肯定できる差別思想に飛びついてしまいます。しかしそれでは根本解決にはなっていませんよね。差別がなくても、どのような環境であっても自己肯定を保てるような強い心を持ちたいものです。

この記事を書いた人

都内私立大学を卒業→大学院進学→メーカーに就職←イマココ、のアラサーブロガー。高校3年生の現代文の授業で、『舞姫』(森鴎外)の解説を受けてから文学にハマり、以降文学書を読み漁る。好きな作家は村上春樹、夏目漱石、太宰治。
いろんな作品の考察や感想を書いていきます。たまに書評も。

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