はじめに
今回は、『香水』作詞作曲:瑛人の、歌詞を対比の観点で考察していこうと思います。
香水、といえば、ドールチェアーンドガッバーナーの〜という耳に残るサビのフレーズで、2019年頃に大ヒットしました。
YouTubeの再生回数は1.6億回です。
(2024年2月現在)当時は近所のローソンに入る度にこの曲が流れていた気がします。
今回は「対比」の観点で、歌詞の考察をお届けしたいと思います!
『香水』の歌詞では様々な対比があります。
一つずつ見ていきましょう。
君と僕
『香水』では、「君」と「僕」が対比されます。
例えば、歌詞の下記の部分
(中略)・・・悲しくないよ、君が変わっただけだから
でも見てよ今の僕を空っぽの僕を・・・(中略)
出典:『香水』瑛人
たばこを吸うようになった「君」に対して「変わった」と感じ、一方で自分は・・・と「僕」を「君」と対比しています。
ここで、歌詞の意味を考察します。
「君」がたばこを吸うようになったのに対し、今の僕は「空っぽになった」と言っています。
たばこを吸うようになったのは、この曲が元カノである「君」と「僕」との恋愛ソングであること考えると、「今の彼氏の影響」なのではないかと推測されます。
そして、「君」が彼氏から影響を受けるということは、「君」は他人に影響されやすいような純粋性、素直さ、素朴さのようなものを持っているのだと思うのです。
一方で、対比される僕の方はどうでしょうか。
歌詞はこのあと、「人に嘘ついて軽蔑されて、何も感じられなくてさ」と続きます。
「僕」は他人に対し平気で嘘をつき、それに対して罪悪感を感じることもなくなってしまった。
擦れてしまったのでしょう。
擦れてしまったということは純粋性、素直さを失ってしまったことになります。
つまり、この部分の対比は、「純粋性を保っている君」と「擦れてしまった僕」の対比として読み取れます。
さて、ここで参考程度に「君」と「僕」が歌詞の中でも非常に高いウエイトを占めているデータを示しておきます。
下は、歌詞の単語の出現回数を表にまとめたものです。
順位 | 単語 | 出現回数 |
1 | 君 | 14 |
2 | 僕 | 6 |
3 | ドルチェ&ガッバーナ | 4 |
3 | 香水 | 4 |
5 | 人 | 3 |
5 | 横 | 3 |
表より、君が14回、僕が6回とトップ2が「君」と「僕」となっていることからも、「君」と「僕」の対比がこの曲の中心を構成していることがわかります。
今と昔 (大人の僕と子供の僕)
二つ目の対比は「今」と「昔」です。
以下の歌詞が当てはまります。
あの頃、僕たちは何でも出来る気がしてた…(中略)…
出典:『香水』瑛人
でも見てよ今の僕を、クズになった僕を
この部分では、何でも出来る気がしていた昔の自分たちと、今の自分を対比しています。
「何でも出来る気がしていた」の部分は、一種の幼児的万能感だと思われます。
幼児的万能感とは、心理学の分野でしばしば使われる言葉で、下記のような意味です。
子供のように何でも無限にできるという万能な感覚
出典:https://mental-kyoka.com/
人は大人になるにつれて、様々な経験を積み挫折を繰り返すことで、自他の能力の限界や向き不向きについて理解し、何でも出来るという感覚を失っていきます。
あの頃の僕たち」は、幼児的万能感があり、子供だったのです。
一方で、今の「僕」はどうなのでしょうか。
歌詞はこの後、「人を傷つけてまた泣かせても何も感じ取れなくてさ」と続きます。
3年の時を重ねることで、優しさを忘れて、平気で人を傷つけることのできる大人になった「僕」が描かれています。
つまり「あの頃」の「僕」が、幼児的万能感を持った「子供」であったのに対し、今の「僕」は擦れた「大人」になったことが描かれています。
また、もう一カ所、「今」と「昔」を対比している箇所があります。
何もなくても楽しかった頃に、戻りたいとかは思わないけど…(中略)
出典:『香水』瑛人
「何もなくても楽しかった昔」に対して、直接言及されてはいませんが、「無邪気に楽しむことの出来なくなった今」が対比されています。
「箸が転がってもおかしい年頃」という慣用句があるように、子供の頃は何でもないことでも面白おかしく感じられるものです。
それが大人になるにつれて、段々と面白さのハードルは高くなっていきます。
こちらの部分でも「子供の自分」と「大人になった自分」が対比されていると言えます。
変わった僕と変わらない君
上で書いたように、昔の僕と今の僕が対比されていて、昔から今の僕にかけて、子供から大人へと変わったことが示されています。
ここで注目したいのは、「君」の方はどうなのか、という点です。
結論から書くと、「君」は変わっていません。
たしかに、歌詞の中ではこんな風にありますね。
悲しくないよ、君が変わっただけだから
出典:『香水』瑛人
しかし、続く歌詞では、
でも見てよ今の僕を、空っぽになった僕を
出典:『香水』瑛人
と続きます。
「でも」が逆接の接続詞である点と、「空っぽの僕」が「大人」であることを踏まえると、
「君」は「僕」とは逆の立場のはずなので、「大人ではない」と言うことになります。
歌詞の「君が変わった」は、あくまでたばこを吸わない君からすう君へと「変わった」だけに過ぎず、「君」が子供である点は変わっていないのです。
さらにもう一点「君」は大人ではない、と言える根拠があります。
それは下記の歌詞です。
何もなくても楽しかった頃に戻りたいとかは思わないけど、君の目を見ると思う
出典:『香水』瑛人
もしも「君」が僕のように擦れた大人になっていたら、そういう目をしているはずです。
「君」が擦れた大人の目をしていたら、「僕」は「何もなくても楽しかった頃」を思い出すことは出来ないでしょう。
「僕」が昔を思い出すことが出来るのは、「君」が昔のままの「君」だからなのです。
さらに、上で書いたように、「君」が他人から影響されやすい純粋性を失っておらず、つまり子供のままです。
こちらの点でも、「君」は変わっていないと言えます。
ついでにおまけ的な考察を加えますと、歌詞の最後で以下の部分があります。
また同じことの繰り返しって僕が振られるんだ
出典:『香水』瑛人
ここまでは、昔から今にかけて変わってしまった僕が語られますが、最後の最後で「僕たちの変わらない点」が語られるという歌詞の構成になっています。
まとめ
今回は、『香水』(作詞作曲・瑛人)の歌詞のテクニックを「対比」の観点で考察してみました。
今と昔の対比では、ノスタルジーに胸が締め付けられます。
思い出補正というのはありますよね。
過去が汚れていると未来への希望が薄れるので、希望を持たせるために過去を美化する設計になっているのかもしれませんね、脳が。
それでは、また次回。