はじめに
こんにちは。
本記事では、2020年上期の芥川賞、『破局』(遠野遥、2020.7、河出書房新社)を徹底解説します。
一度『破局』を読まれて、解説を読みたい方に向けた記事となります。
※本記事はネタバレを含みます。
あらすじ
主人公
主人公は、有名私立大学の四年生「私」で、就活に時期にあたる4月〜6月ごろの出来事が描かれます。
「私」は、高校時代はラグビー部で活躍しており、鍛え上げた屈強な肉体を持ち、国会議員志望の優秀な可愛い彼女がいて、公務員試験に余裕で合格するような、いわゆる「デキる」人間です。
しかし、女性関係のもつれをきっかけに、少しずつ歯車が崩れ、人生が狂っていきます。
あらすじ
主人公の「私」は、同い年の恋人・麻衣子とうまくいかず、関係は冷え切っていた。
そんな折、親友・膝のお笑いライブに出かけた際、偶然隣り合わせた三歳年下の女性・灯と意気投合し、やがて恋人同士になる。
「私」は麻衣子と別れ、新しい恋を歩み始めたはずだった。
しかし、灯との交際が順調に進んでいたある夜、別れたはずの麻衣子が突然、真夜中に「私」の家へ押しかけてくる。
その勢いに流されるようにして関係を持ってしまい、その出来事を麻衣子が灯に暴露する。
裏切りを知った灯は激しく怒り、カフェで「私」に別れを告げると、そのまま店を飛び出してしまう。
「私」は慌てて灯を追いかけるが、取り乱した様子を暴漢と勘違いされ、屈強な若い男に行く手を阻まれる。とっさに男を殴りつけてしまい、男は崩れ落ちるように倒れた。
騒ぎを聞きつけた警察が駆けつけ、「私」はその場で取り押さえられる。
こうして「私」は灯を失い、積み上げてきた学歴も、公務員としての内定も、すべてを失うことになる。
作品のテーマ
あらすじだけ見ると、浮気性の男が痛い目を見るだけの、ありがちな話に読めます。
しかし、本作は「ありがちな話」の中には、こんなテーマが含まれています。
- 内面の欠落がもたらす破滅
- 外面的な価値の虚無
そしてこのテーマは、主人公が読者に与える違和感と密接に関連しています。
主人公への違和感
読者の多くは、本作の主人公に対して「違和感」や「気持ち悪さ」を感じるのではないでしょうか。
以下に、主人公が読者に違和感を与える要素を書き出しました。
偽物の優しさ
一つ目の違和感は、主人公の偽物の優しさです。
以下にその根拠部分を引用します。
私は灯を安心させようとして、きっと今さっきだろうと微笑んだ。私の父は、私がまだ小さい頃にいなくなった。だから思い出はほとんどないけれど、女性には優しくしろと口癖のように言っていたのだけはよく覚えている。
(~中略~)私は父の言いつけを守っていたかった。
出典:『破局』遠野遙 河出文庫 p39
こちらのシーンで主人公は、灯の髪にゴミがついていると嘘をつき、触れるための口実を作ります。
その結果、灯は「いつから埃がついていたのだろう」と恥ずかしさを覚えることになります。
そして主人公は、その恥ずかしさを優しく“ケア”するかのように「きっと今さっきだろう」とフォローするのです。
この部分には、違和感を覚えた方も多いのではないでしょうか。
この場面、主人公の自己認識は、「父の教えを守って、女性に対して優しく接する人間」です。
しかし、この明らかに自己正当化です。
なぜなら、このシーンで灯が恥ずかしい思いをするきっかけを作ったのは、他ならぬ主人公だからです。
また、主人公は、灯に触れたいという自身の欲求を満たすために、「埃がついている」という嘘をつきました。
自己の欲求を満たすために、女性に嘘をついて体を触り、恥ずかしい思いをさせることの、どこが優しさなのでしょうか。
主人公の「今さっきだろう」という回答は、灯の「もし髪にずっと埃がついていたのなら恥ずかしい」という恥ずかしさを緩和するという点では、優しさです。
でも、本当に優しい人間なら、平然と嘘をついて髪に触れ、灯の恥ずかしさの原因をつくった部分に対して、自己批判・内省が働くはずです。
主人公は自分が「優しい」のだと勘違いしています。
そして、欲望に任せて嘘をつき、他者の尊厳を踏み躙ることに対しては、カケラの批判も働かないのです。
感情の否定、共感能力の欠如
主人公「私」が自身の感情を否定し、共感能力の低さをうかがわせる部分があります。
「私」が急な冷たい雨に降られ、灯に飲み物を買おうとして買えず、訳もわからず悲しくて涙を流すシーンです。
「私」は、とにかく女性にモテること、裕福な実家、名門私立大学、鍛え上げられた肉体を列挙し、こう言います。
悲しむ理由がないということはつまり、悲しくなどないということだ。
出典:『破局』遠野遙 河出文庫 p116
主人公は、悲しいと感じても、理由が見当たらないために、実は悲しくないのだと捉えます。
感情が湧いてきても、自分の中で明確な理由づけが出来なければ、その感情はないものとされるのです。
ここには、感情の否定が見られます。
そしてそれは、他者への共感性の欠如と結びつきます。
なぜなら、他者の感情についても、主人公は同様の捉え方をすると推測できるからです。
例えば、他者が悲しいとか楽しいとか感じて、それを主人公に話したとします。
このとき、主人公がその感情について考え、明確な理由付けが出来れば、共感できます。
しかしもし、主人公にとって理解出来ない場合には、他者の感情を否定するでしょう。
それが明確に表れているのが、コーチとしての、ラグビー部の部員への指導です。
主人公は、部員の苦しみが分かりません。
猛練習を強い、メンバーが倒れ込み嘔吐していても、さらに追い込もうとします。
ここには、「自分ならこれくらいでは潰れない」「自分なら勝つためにこれくらいのことは当たり前」という、自分なりの解釈があり、そしてそれを部員にも当てはめる心理があります。
私にはこれくらいは当たり前で、苦しくない。
部員らにとっても苦しむ理由はないはずだ。
だから部員たち苦しいわけがない、という理屈です。
主人公は、自分の理解を超えた感情を明確に否定します。
他者の立場に立って感情を捉えることが出来ません。
共感能力がないのです。
ラグビー部での指導シーンでは以下のセリフも出てきますね。
私は嬉しかった。彼らは今まさに自分たちの限界を打ち破り、強くなろうとしている。
出典:『破局』遠野遙 河出文庫 p126
私がうれしいからと言って、部員たちもうれしいとは限りません。
主人公は、自分の「嬉しさ」にばかり目がいき、部員たちの苦しみには目が向かないのです。
外面的な価値の崇拝
主人公は、外面的な価値に過度に依存しています。
それが分かるのが、以下の部分です。
前節と同じ引用部分ですが、少し手前から引用します。
「私」はとにかく女性に苦労しないことを語った後で、こう続きます。
私は自分が稼いだわけではない金で私立のいい大学に通い、筋肉の鎧に覆われた健康な肉体を持っていた。悲しむ理由がなかった。悲しむ理由がないということはつまり、悲しくなどないということだ。
出典:『破局』遠野遙 河出文庫 p117
主人公は、女・金・学歴・肉体の健康さえあれば、悲しい気持ちになることなどあり得ない、と捉えています。
主人公が列挙したものは全て、外面的な価値です。
主人公は外面的な価値に重きをおき、まるで全てを解決する魔法のように捉えています。
しかし、外面的な価値は、必ずしも内面的な豊かさとは必ずしも一致しません。
女性が側にいても、金があっても、学歴があっても、体が健康であっても、虚しさや悲しみを感じる瞬間はあるはずです。
特に、主人公には共感能力がないため、他者と心の共有をすることが出来ません。
他者と繋がれないということは、悲しく、寂しいことだと思います。
しかし、外面的価値の信者である主人公は、そういう内面的な貧しさ故の悲しみを、否定してしまうのです。
外面的価値を崇拝する姿勢に対して、読者は違和感を覚えるのではないでしょうか。
うわべだけの倫理観
主人公の私は、親友「膝」のお笑いライブ鑑賞で、あえて女性2人に挟まれた席に座ります。
その上で、以下の部分。
席が近いことにかこつけて、私はこの女にわざと脚をぶつけようとした。が、自分が公務員試験を受けようとしていることを思ってやめた。公務員を志す人間が、そのような卑劣な行為に及ぶべきではなかった。
出典:『破局』遠野遙 河出文庫 p27
ここには、主人公の上辺だけの倫理観と、他者の感情軽視が滲み出ています。
女性にわざと足をぶつける行為は、「足をぶつけられた側が不快になる」という他者の感情に共感・想像し、「しない」という選択を取るのが自然です。
しかし、彼の場合はそうではなく、「公務員を志すような人間がするべきではないから」なのです。
内面から湧き上がる他者への共感によって行動をコントロールするのではありません。
「公務員=まじめ・誠実」というイメージに自分を当てはめ、その枠から逸脱しないように行動を制御しているだけです。
まるで、倫理観を“外付け”しているような、機械的な印象すら受けます。
この場面は、彼の「倫理」が内面から湧き上がるものではなく、 「社会的にどう見られるか」によって左右される、非常に表層的なものだということを、静かに、でも確かに浮かび上がらせています。
主人公に感じる違和感のまとめ
ここまで述べた主人公の違和感をまとめると、以下になります。
- 偽物の優しさ
- 感情の否定、共感能力の欠如
- 外面的な価値の崇拝
- うわべだけの倫理観
そして、本作が主人公の破局を描いた作品であることを踏まえると、以下が物語のテーマであると言えそうです。
- 内面の欠落がもたらす破滅
- 外面的な価値の虚無
ラストの解釈
ラストでは、主人公が灯に振られ、逃げられます。
そして、灯を追いかける主人公を暴漢と判断し、止めようとした屈強な男に対して暴力を振るいます。
こうして、主人公は恋人も学歴も公務員の内定も、全てを失うのです。
これはつまり、どれだけ外面が完璧であっても、未熟な倫理観を持ち、他者への共感性を欠いた人間は、破滅を迎えると捉えられます。
タイトルの伏線回収
タイトルにある破局は、灯との関係性の終わりと同時に、主人公の完成された外面の破局も意味していたと捉えられます。
作者が伝えたかったこと
上で書いたように、「内面の欠落がもたらす破滅」「外面的な価値の虚無」は、作者が伝えたかったことです。
ですが、それだけではありません。作者は、主人公の可能性を描いてもいます。
いわば、破滅を回避するための可能性を作品に埋め込んでいるのです。
そこから、作者が伝えたかった裏メッセージは以下です。
自分の感情をしっかりと認識しなさい。
さもなければ、破局しますよ。
なぜこのように読み解けるのか、以下に記載します。
破局を防ぐために。主人公の回復の可能性
灯と接しながら、幸福そうな灯を見ながら、主人公はこうつぶやくシーンがあります。
灯は私の下で幸福そうに笑っていた。それを見た私も幸福だったか?
出典:『破局』遠野遙 河出文庫 p120
この一文は、「女性に優しくするべき」という理念を持つ主人公に、そぐわない思考です。
これは、「交際相手の女性が幸せなら私も幸せだ」という主人公の鋼の理屈が、破局する前兆と捉える事が出来ます。
一方で、「主人公の回復の可能性」を示しているようにも思うのです。
このシーンで主人公は、自身の鋼の理屈に逆らっています。
自身があるべき理想に反して、「交際相手の女性が幸せでも、私は幸せではないのではないか」という可能性に目を向けているのです。
理屈の殻を突き破り、自身の中の「本当の感情」に目を向けているのです。
主人公は、共感能力のなさや、外面的価値を崇拝する姿勢、そして、他者と心の交流が出来ないが故の寂しさを抱えています。
それは、自己の感情を粗末にし、認識していないことに起因するのではないでしょうか。
自己の感情を認識していないから、他者の感情も認識できないのです。
それが、共感能力の欠如や、他者との心の交流の不可能性に繋がります。
さらには、自己の感情を認識していないから、内面が満たされることがなく、外面的価値を崇拝するのではないでしょうか。
こう考えると、「自己の感情を認識すること」は、主人公が救われる一つの道しるべでしょう。
自分の感情をしっかりと認識しなさい。
さもなければ、破局しますよ。
これが、作者が伝えたかったメッセージです。
まとめ
今回は、遠野遥の『破局』を解説しました。
本作は、ありがちなあらすじでありながら、主人公の異質性を足がかりとして、「内面の欠落がもたらす破滅」、「外面的な価値の虚無」など深いテーマを描いています。
本記事を一つの解釈としてお読みいただけますと幸いです。
